水田稲作の起源とルート

二つの説:朝鮮半島経由と中国直接ルート

水稲稲作(水田稲作)が日本に伝播したのはどこからでしょうか。

まず、水稲稲作の起源はどこかというと、いまのところ中国長江流域であるというのが定説になっています。

それを前提に、日本にはどうやって伝播したかを考えてみましょう。
現在の通説には下記の2ルートがあります。

  • 朝鮮半島から日本に伝播した
  • 中国大陸から日本に伝播した

河姆渡文化(河姆渡遺跡)

中国浙江省の河姆渡遺跡から水稲の籾が大量に発掘されており、最古級の水稲稲作と推定されています。
この遺跡は、紀元前4500年頃の時期に該当します。

更に遡って、紀元前7500~5000年頃の時代の稲作の遺跡が、彭頭山遺跡から見つかっています。

一方、日本では朝寝鼻貝塚からプラントオパールが発見されていますが、水稲稲作の証拠はなく、紀元前1000年の菜畑遺跡から見つかった水田稲作跡が最古です。

朝鮮半島での水田稲作の痕跡は日本列島より前の遺跡では見つかっていません。

これらの遺跡から、中国長江流域が稲作の起源だと推定されます。

水田稲作の年表

水田稲作の年表をまとめると上記のようになります。

稲作は、朝鮮半島を経由せずに日本に伝来した【仮説】

『稲作の伝播』佐藤洋一郎著作から引用

結論から言うと、中国から直接伝播したというのが最新の学説のようです。

在来品種の水稲(温帯ジャポニカ)の遺伝子RM1を調べると、面白いことがわかります。

RM1遺伝子の分布

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中国
朝鮮半島
日本列島
佐藤洋一郎氏レポートより引用

RM1遺伝子には8種類の系列があります。
中国では8種類すべてあります。b遺伝子が多く見つかります。
朝鮮半島では、b遺伝子のみ見つかりません。
日本ではa・b・cのみ見つかっています。b遺伝子が多く見つかります。

面白いのは、b遺伝子が朝鮮半島では見つからないということです。
しかし、中国と日本には高い割合で分布しています。
中国大陸から直接日本へ到達する交易などの流れがあり、b遺伝子を持つ水稲が中国から直接伝播したものなのでしょう。
a遺伝子は中国では高い割合では存在していませんが、朝鮮と日本にも存在しています。
a遺伝子は朝鮮半島を経てきたか日本から朝鮮半島南部に伝播したものと推測されます。

イネには品種があります。

  • ジャポニカ
    • 熱帯ジャポニカ
      • 7C6A
      • 6C7A
    • 温帯ジャポニカ
      • 6C7A
  • インディカ

7C6Aをもつイネが雀居遺跡(福岡県)、田村遺跡(三重県)、登呂遺跡(静岡県)などから出土しています。
7C6Aは熱帯ジャポニカ固有の遺伝子なので、弥生時代に熱帯ジャポニカが存在していたことになります。

熱帯ジャポニカは、東北地方から北部九州地方まで広範囲に広がっていて、弥生時代日本列島では、水田で熱帯ジャポニカが栽培されていたことを示します。

ただし、温帯ジャポニカの起源は分かっていません。
熱帯ジャポニカが改良されて温帯ジャポニカになったと推定することはできます。

したがって、水田稲作の渡来ルートには熱帯ジャポニカも含まれていたかもしれないということでしょうか。

一つの学問分野だけで判断するのではなく、様々な角度から検証・分析することは大切です。
考古学+農学+分子生物学という多角的分析をしたことで事実に近づきます。

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