占領下の日本

ポツダム宣言受諾

昭和二十年(1945年)8月6日、人類史上初となる原子力爆弾が広島に投下され、続けて8月9日、長崎に落とされ、20万人以上の生命が奪われ、民間人の大虐殺を被りました。

8月8日、ソ連が日ソ中立条約を無視して宣戦布告し満州、朝鮮、樺太に軍事侵攻してきました。

そして、日本政府は、8月10日に中立国のスイスおよびスウェーデン経由で連合国に対し条件付きでのポツダム宣言の受諾意思を報知し、日本側の条件に対する連合国の回答、および昭和天皇の「御聖断」を経て8月14日、詔勅によりポツダム宣言の正式受諾を通告しました。

8月15日正午、昭和天皇はラジオ放送で終戦の詔書を日本国民に発表されました(玉音放送)。

こうして、9月2日、東京湾の横須賀沖に浮かぶアメリカ軍艦ミズーリ号上において、日本政府の全権・重光葵と日本軍全権・梅津美治郎およびアメリカやイギリス、中国、オランダなどの連合国代表が、宣言の条項の誠実な履行等を定めた降伏文書に正式に調印しました。

ここに、大東亜戦争が終結しました。

参考記事:大東亜戦争(アジア・太平洋戦争):結果から探る

アメリカによる赤化政策の推進

日本を占領したアメリカは、民主化の名の下、日本を赤化していきます。
その中心人物が、GHQ配下で活動した、トーマス・アーサー・ビッソン、アルジャー・ヒス、ハーバート・ノーマン等、ソ連コミンテルンのスパイ達です。

トーマス・アーサー・ビッソン

トーマス・アーサー・ビッソン
太平洋問題調査会(IPR)系の日本研究家としてGHQの民政局に属し憲法改正等、占領政策に関わった。 皇室典範と現行の日本国憲法の関係性などに介入、この介入が後の皇室の在り方や今日の皇位継承問題の発端となる(ビッソンらによる昭和二十一年七月十一日付「覚書」による)。 また民主化の名の下に財閥解体などを推し進め、日本弱体化を推進した。

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アルジャー・ヒス

アルジャー・ヒス
フランクリン・ルーズベルト大統領の側近として、ハリー・ホプキンズ、ウィリアム・リーヒ提督らとともにヤルタ会談に出席。1948年に元共産党員のウィッテカー・チェンバーズによって、ヒスがアメリカ共産党のスパイであることを暴露された。

「赤狩り」が吹き荒れる1950年に偽証の有罪判決を下され、5年の懲役が宣告された。スパイ行為に関しては出訴期限が尽きたため訴追を受けなかった。1992年一旦無罪とされたが、近年公開された『ヴhェノナ文書』によると、GRUのエージェントとして、長年スパイ活動をしていたことが明らかになった。

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ハーバート・ノーマン

ハーバート・ノーマン
GHQが戦前の日本の政党の活動を禁止した中で日本共産党だけはノーマンの助言でこの禁止を受けなかった。これが学生時代の左翼活動と相まってその後のソビエトスパイの容疑に大きく影響する。

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公職追放

昭和二十一年(1946年)1月、GHQは戦争犯罪人、陸海軍軍人、超国家主義者、大政翼賛会の有力者に公職追放を命じます。

そして、昭和二十三年(1948年)までに、国会議員、財界、公務員、言論界を中心に、約21万人が職を失いました。

この公職追放により、保守層の有力者の多くが追放されたため、学校やマスコミ、言論等の各界、労働組合が力を帯び、左派勢力や共産主義のシンパが大幅に伸長する結果をもたらしました。

北方領土問題

北方領土とは、国後島、択捉島、歯舞群島、色丹島のことです。

明治八年(1875年)樺太千島交換条約
日本は、樺太千島交換条約により、千島列島(シュムシュ島からウルップ島までの18島)をロシアから譲り受けるかわりに、ロシアに対して樺太全島を放棄しました。

明治三十八年(1905年)ポーツマス条約
日露戦争後のポーツマス条約において、日本はロシアから樺太(サハリン)の北緯50度以南の部分を譲り受けました。

昭和二十年(1945年)8月9日、ソ連は、まだ有効であった日ソ中立条約を無視して日本に参戦し、ポツダム宣言受諾後の8月28日から9月5日までの間に北方四島を占領しました。
ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に編入し、1948年までに約1万7千人の日本人をすべて強制退去させました。

昭和二十六年(1951年)サンフランシスコ平和条約
日本は、サンフランシスコ平和条約により、ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しました。
しかし、日本政府は、北方四島は千島列島の中に含まれないと主張します。
また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利を主張することはできないとしています。

ロシア政府は、第二次世界大戦の結果として獲得したロシアの領土であり、日本が根拠のない領有権の主張を行っていると認識しています。

日本のコミンテルンとマルキスト

GHQに潜んで日本の共産化を導こうとしたアメリカのコミンテルン一味から支援を受けたのが、日本の共産主義者たちです。

戦前、活動を抑制されていた日本の共産主義者や社会主義者たちは、戦後復活していきます。

約220名の共産党員が出所し、徳田球一、宮本顕治、袴田里見、黒木重徳、志賀義雄らが、日本共産党を再建し、赤旗を再刊しています。

日本共産党は、昭和26年10月の第5回全国協議会において、「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」と、「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を決定しました。
そして、昭和20年代後半に、全国的に騒擾事件や警察に対する襲撃事件等の暴力的破壊活動を繰り広げました。

■白鳥事件

白鳥事件とは、昭和27年1月21日に北海道札幌市で発生した警察官射殺事件です。

■血のメーデー事件

血のメーデー事件とは、昭和27年5月1日に東京の皇居外苑で発生した、デモ隊と警察部隊とが衝突した騒乱事件です。

■吹田事件

吹田事件とは、昭和27年6月24日から6月25日、大阪府吹田市、豊中市で発生した吹田騒擾事件と、その裁判で起きた事件(吹田黙祷事件)の両方を指した事件です。

■大須事件

大須事件とは、昭和27年7月7日に名古屋市中区大須で警察部隊とデモ隊が激しく衝突した事件のことで、騒乱罪の成立が裁判所で認められた公安事件です。

これらの暴力事件では、多くの左翼学生、北朝鮮系在日朝鮮人、日雇労働者などが動員され破壊活動を行いました。

また、朝鮮進駐軍とも揶揄されるぐらい、多くの在日朝鮮人が暴力事件を起こしています。
大津地方検察庁襲撃事件、長崎警察署襲撃事件、生田警察署襲撃事件、新潟日報社襲撃事件、関東朝鮮人強盗団事件、直江津駅リンチ殺人事件等があり、日本共産党が関与した事件も多数にのぼります。

闇市と焼肉屋、パチンコ屋、飲み屋の関係

戦後の荒廃のどさくさに紛れて人が集まるところに非合法の市場が発生していきました。
いわゆる闇市、やみ市です。
GHQの占領下において増殖していることから、GHQ・日本政府の食糧配給制度が破綻していたため、闇市が増加したと言われています。

最初、闇市は、食料雑貨やGHQからの放出品が中心でしたが、その後、第三国人といわれる日本の旧外地出身の朝鮮人、中国人、台湾人などが取って代わることで、様相が変化します。

空地の出店は的屋(テキヤ)などの組織が地割を取り仕切るようになり、ゴザや筵、よしず張りなどでお互いの境界を区切り、地面に品物を並べる店や、台上に品物を並べる店のほか、食事や酒を提供する移動式の屋台も存在するようになった。やがて焼け残った廃材などでバラック建ての店が建設された。ただし空地でも所有者がいる土地に建物を建てるのは不法占拠であり、大阪府警察本部の警察部長は、この不法占拠者には外国人(第三国人)が多く、中には地主に立ち退きを要求されると暴力行為に及ぶものや、法外な立ち退き料を請求したものもあったと証言している。

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代表的な闇市としては、東京では新宿東口、新宿西口、歌舞伎町、上野アメヤ横丁、大坂鶴橋、神戸元町、名古屋駅西口、それ以外では、秋葉原、新橋、池袋、船橋、大坂では梅田、阿倍野、神戸は三宮などに大規模な闇市がありました。

田岡一雄が神戸の町と闇市を三国人から守るために自警団を組み、その後の山口組へと発展するきっかけを作りました。

■闇市とパチンコ屋の関係
例えば、名古屋駅西口では、三大闇市といわれるほど大規模な闇市が存在していました。
戦争が終わり、朝鮮半島や台湾、中国大陸に帰国するため名古屋駅を経由して鉄道で九州や山口県から帰国船に乗ることになり、多くの朝鮮半島人、台湾人などが名古屋駅を利用しました。

1948年、政村ゲージで有名な正村竹一が名古屋でパチンコ屋を復活させ、パチンコ屋が急激に増殖していき、闇市からパチンコ屋に衣替えする朝鮮人・韓国人も増加、パチンコ屋からはパチンコ製造会社も設立されていきました。
こうして、名古屋をモデルに全国の都市に広がっていくことになったのです。
1949年に4800件しかなかったパチンコ屋は、1953年には43千件と10倍近くにまで増えています。

徐々に復興が進んで闇市が消滅していく中で、三国人による土地の不法占拠が横行しました。

そして、日本人も復興していく過程で徐々に他の産業に移行していきますが、在日朝鮮人・韓国人はそのまま留まることが多く自然にパチンコ、焼肉(ホルモン)、風俗業などが彼らの主要産業となりました。

今でも繁華街の一等地にパチンコ屋が多くあるのは、不法占拠された一等地をそのまま所有する人々に縁があるためです。

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