日本武尊(ヤマトタケル)は実在したのか
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日本武尊(ヤマトタケル)
日本の古代の人物で世間一般に知名度が高いのが、ヤマトタケル(日本武尊・倭健命)ではないでしょうか。
記紀に、ヤマトタケルが九州の熊襲を退治したり、東国の蝦夷を退治したり、奥さんが身代わりに入水したり、伊吹山で体力を落とし、三重で亡くなり、白鳥に変身した説話が記されています。
古事記・日本書紀に書かれている日本武尊・倭健命の事績は、ほぼ創作話しで、荒唐無稽な説話になっています。
ヤマトタケルの説話は、『日本書紀』巻第七・景行天皇紀に記されています。
日本武尊は、景行天皇と播磨稲日大郎姫との間に生まれた皇子で、双子でした。
大碓と小碓と言いました。
小碓が日本武尊(ヤマトタケル)、別名が日本童男(ヤマトオグナ)です。
后妃は、両道入姫皇女、吉備穴戸武媛、弟橘媛、宮簀媛
皇子は、足仲彦天皇(仲哀天皇)、布忍入姫命、武卵(王讃岐綾君の祖)、十城別王(伊予別君の祖)、稚武彦王 等です。
日本武尊は実在したのか
荒唐無稽な説話のため、日本武尊(ヤマトタケル)は実在しなかったのではないかという意見があります。
- 記紀、先代旧事本紀に記載がある。
- 系統が明確に記載され、つながっている。
- 名前がヤマトタケル、日本武尊、倭健命と一貫している。
- 『常陸国風土記』、『阿波国風土記』、『新撰姓氏録』などに記載がある。
- 神社に数多くの由緒書、記録が残っている。
このように、脚色されてはいますが、日本武尊(ヤマトタケル)は、実在したと推定できます。
ヤマトタケル(日本武尊)が伝承で残っている神社
- 吾勝神社(村社)岩手県一関市荻荘>>日本武尊が東夷征伐のため、下向した際、吾勝宮を勧請し戦勝祈願した
- 配志和神社(県社)岩手県一関市山目町>>景行天皇の御代、日本武尊により創祀されたといわれる神社
- 天満神社(郷社)山形県山形市小白川町>>日本武尊が東国平定のみぎり陣営をおいたところ
- 總宮神社(県社)山形県長井市宮前>>坂上田村麻呂東征のみぎり、日本武尊の御神徳を追尊
- 熱日高彦神社(郷社)宮城県角田市島田>>日本武尊が道中伊具の地に至り、邇邇杵命を祀ったのがはじまり
- 多賀神社(郷社)宮城県名取市高柳>>日本武尊が東夷征伐の時に勧請した仙台市内で一番古い神社
- 佐倍乃神社(郷社)宮城県名取市愛島>>景行天皇の時代、日本武尊の勧請によって猿田彦神、天鈿女命を祭神とした
- 雄鋭神社(郷社)宮城県栗原郡黒駒町>>日本武尊東征のみぎり、勧請(おどのじんじゃ)
- 白鳥神社(郷社)宮城県柴田郡村田町>>日本武尊の伝説に因む白鳥信仰の神社
- 大高山神社(郷社)宮城県柴田郡大河原町>>敏達天皇元年(572年)に創建。日本武尊が蝦夷征伐の東征の折に仮宮を立てて住んだ
- 白鳥神社(村社)宮城県柴田郡柴田町>>日本武尊の伝説に因む白鳥信仰の神社
- 日高見神社(郷社)宮城県石巻市桃生町>>景行天皇40年、日本武尊は上総から海路陸奥に入り竹水門から日高見の国に到り賊を平定
- 飯野山神社(村社)宮城県石巻市河北町>>日本武尊、3人の老翁現れ、飯を炊き以って之を奉る。夷賊を平定して後、祠を建て祀る
- 鹿島天足和気神社(郷社)宮城県亘理郡亘理町>>景行天皇41年、日本武尊により鎮座地の北の三門山へと勧請
- 須川南宮諏訪神社(郷社)福島県福島市伏拝清水内>>日本武尊が東征のみぎり、山頂に諏訪の神である建御名方神をお祀りした
- 都都古別神社(国幣中社)福島県東白川郡棚倉町棚倉>>味耜高彦根命・日本武尊を祭神とし、中世以降は陸奥国の一宮
- 都都古別神社(国幣中社)福島県東白川郡棚倉町八槻>>味耜高彦根命・日本武尊を祭神とし、中世以降は陸奥国の一宮
- 桙衝神社(県社)福島県岩瀬郡長沼町>>(ほこつきじんじゃ)日本武尊が東征の際に亀居山に上り、武甕槌神に対して戦勝祈願
- 苕野神社(県社)福島県双葉郡浪江町>>桓武天皇の時代、坂上田村麻呂が東夷征伐の際、賊徒を平定後、神殿を建てた
- 吉田神社(県社)茨城県水戸市宮内町>>日本武尊が東征の際にこの地(朝日山/三角山)で兵を休ませた
- 鹿島香取神社(村社)茨城県水戸市青柳町>>皇紀742年日本武尊によって上河原に奉斎されたと伝えられる
- 八溝嶺神社(郷社)茨城県久慈郡大子町>>景行天皇40年、日本武尊が八溝山に立てこもる賊を討ち大己貴命・事代主命を祀る
- 加波山神社(郷社)茨城県新治郡八郷町>>景行天皇の時代日本武尊が加波山に登拝、天御中主神等3神を祀り社殿を建てた
- 磯部稲荷神社(郷社)茨城県西茨城郡岩瀬町>>景行天皇40年(111年)、日本武尊、伊勢神宮の荒祭宮である礒宮を此の地へ移祀
- 雲井宮郷造神社(郷社)茨城県真壁郡明野町>>景行天皇41年(111年)、比奈良珠命が武甕槌命・大国主命・事代主命の三神を祀る
- 加波山三枝祇神社(村社)茨城県真壁郡真壁町>>景行天皇41年、日本武尊が加波山に登拝、神託により社殿を建てた
- 大原神社(郷社)栃木県足利市大前町>>景行天皇42年日本武尊東征の歸途、此地に巡幸し臺山の頂上に大原野大神を勸請
- 古峯神社(無格社)栃木県鹿沼市草久古峯ヶ原>>1300余年の昔、隼人が京都から移り、日本武尊の御威徳を慕い、古峯ヶ原淨地に遷座
- 健武山神社(郷社)栃木県那須郡那珂川町>>健武は日本武尊の御名代部である建部と思われ、那珂川を遡上してきた大和朝廷の軍事拠点
- 王城山神社(郷社)群馬県吾妻郡長野原町>>王城山は日本武尊東征時、駐屯しら旧跡。山上に祠を建て、山麓に里宮を建立
- 熊野神社(県社)群馬県安中市松井田町>>日本武尊が東征の帰路で碓氷峠で道に迷い、八咫烏が道案内しそれを感謝して熊野の神を勧請
- 中之嶽神社(村社)群馬県甘楽郡下仁田町>>日本武尊が勅命により関東巡行の際、妙義山に登嶽
- 子持神社(県社)群馬県渋川市中郷>>日本武尊が蝦夷征伐の際、戦勝祈願のため木花開耶姫命と七柱の大神たちを祀る
- 金鑚神社(官幣中社)埼玉県児玉郡神川村>>日本武尊が東征の際に、倭姫命から授けられた火鑽金を御室山に御霊代として納めた
- 三峯神社(県社)埼玉県秩父市三峰>>景行天皇の時、日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中に三峯神社近くの山に登って創建
- 宝登山神社(県社)埼玉県秩父郡長瀞町>>景行天皇の御代、日本武尊が東征の帰途山火事に遭遇するが神犬の神助で宝登山で神霊を祀る
- 北野天神(県社)埼玉県所沢市小手指元町>>日本武尊が東征の折に創祀したのに始まる
- 広瀬神社(県社)埼玉県狭山市上広瀬>>景行天皇代に日本武尊が東征の折、この地が大和国広瀬郡川合に似ているとして廣瀬大社を分祀
- 熊野大神宮(郷社)埼玉県深谷市東方>>『明細帳』で「日本武尊が東征に際し、東の方は何れに当たるかと尋ね東方の地名になった」
- 出雲伊波比神社(郷社)埼玉県入間郡毛呂山町>>景行天皇53年に日本武尊が鉾を奉納して大己貴命を祀った
- 城峰神社(郷社)埼玉県児玉郡神川町>>日本武尊が東征した折、山頂に矢を納めて東夷平定を祈願し、大山祇命を祀った
- 椋神社(県社)埼玉県秩父郡吉田町>>日本武尊が東征の折、創建
- 意富比神社(県社)千葉県船橋市宮本町>>景行天皇40年、日本武尊の東征の折、当地で東国平定の成就を祈願
- 大戸神社(県社)千葉県香取市大戸>>景行天皇40年の日本武尊東征の際、蝦夷征伐祈願のために大戸の地に勧請したのが創建
- 麻賀多神社(郷社)千葉県成田市台方>>景行天皇42年、日本建尊が「鏡をインバノクニタマオキツカガミと祀れ」と伊勢の大神を遥拝
- 島穴神社(県社)千葉県市原市玉井>>日本武尊は弟橘姫命の遺志に従いこの地に志那都比古尊を祀った
- 大宮神社(村社)千葉県市原市玉井>>景行天皇の御代、日本武尊が御東征された折の御創建
- 姉埼神社(県社)千葉県市原市姉崎>>日本武尊が宮山台で弟橘姫をしのび、風の神である支那斗弁命を祀った
- 大鷲神社(無格社)千葉県印旛郡栄町>>日本武尊が東夷征討の際、錦旗を立て仮の御野立所とし租神を奉斉した旧跡
- 玉崎神社(郷社)千葉県旭市飯岡町>>海上平安、夷賊鎮定のため、「玉ヶ崎」に海神の娘であり神武天皇の母である玉依姫尊を祀った
- 豊玉姫神社(郷社)千葉県香取郡小見川町>>日本武尊が東征時総国へ乗船の折、海上安全を綿津見神に祈願、上陸後娘の豊玉姫命を奉斎
- 八坂神社(郷社)千葉県富津市高津>>日本武尊が東征の折、相模よりこの地に渡られ、神籬を立て、素盞嗚尊を祀った
- 八雲神社(郷社)千葉県富津市天羽>>景行天皇40年日本武尊東征の折、この地に神籬磐境を立て素盞嗚尊を斎祀って阿久留王を討伐
- 金谷神社(郷社)千葉県富津市天羽>>金谷の沖から重量1.5t、直径1.5mの円鉄が引き上げられ、日本武尊の御遺物として境内に祀った
- 橘樹神社(県社)千葉県茂原市本納>>日本武尊が東征した際、弟橘媛の御陵を作り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えて祀った
- 鳥越神社(郷社)東京都台東区浅草鳥越>>景行天皇の御代、この地に日本武尊が良き斎庭と定めて皇祖二柱の大御神を祀った
- 鷲神社(村社)東京都台東区竜泉寺町>>日本武尊が東夷征討の際、戦勝を祈願し帰途、「熊手」をかけて勝ち戦を祝いお礼参り
- 五条天神社(村社)東京都台東区上野公園>>日本武尊が東征の折、大己貴命と少彦名命を上野忍が岡に祀った
- 榊神社(村社)東京都台東区浅草蔵前>>景行天皇の時代、日本武尊が東夷征伐の折に創祀
- 大鳥神社(村社)東京都目黒区下目黒>>景行天皇の時代に国常立尊を祀った社があり、日本武尊が東夷平定の折に当社に立ち寄った
- 大嶽神社(郷社)東京都西多摩郡檜原村>>日本武尊が東征の折り、住民が尊の徳を慕って山頂に大嶽大神の社を建立
- 走水神社(郷社)神奈川県横須賀市走水>>日本武尊が浦賀水道を渡る際、自分の冠を村人に与え、冠を土中に埋めて社を建てた
- 腰掛神社(村社)神奈川県茅ヶ崎市芹沢>>日本武尊が御東征の際に、この地で石に腰掛けて大山を眺めて休憩したという伝説
- 寒田神社(県社)神奈川県足柄上郡松田町>>倭建命東征の折、しばらくこの地に滞在
- 足柄神社(郷社)神奈川県南足柄市>>日本武尊御東征の砌、南海にひらけし海を逆波と(後の相模)呼称された
- 白鳥神社(郷社)富山県婦負郡八尾町>>日本武尊の伝説に因む白鳥信仰の神社
- 高爪神社(県社)石川県羽咋郡富来町>>往古、内宮・外宮・末社八あり、内宮を六社宮と称し日本武尊・菊理比叱他四柱の神を祀った
- 酒折宮(村社)山梨県甲府市酒折町>>日本武尊の東征の際、行宮として設けられた酒折宮に起源をもつ
- 山梨岡神社(郷社)山梨県山梨市石森>>日本武尊が東夷征伐の折に勧請
- 御嶽神社(郷社)山梨県大月市土久保町>>日本武尊が東征の帰還、厳しい風雨にて滞られた地で、里人は尊の御跡を慕ひ社を建立
- 北野天神社(郷社)山梨県北巨摩郡小淵沢町>>字天神森に日本武尊を祀り山宮天神と称した
- 建岡神社(郷社)山梨県北巨摩郡長坂町>>景行天皇40年日本武尊東征の際、此岡を望み「建き大丈夫の立つるが如き」と云った
- 弓削神社(郷社)山梨県西八代郡市川大門町>>日本武尊、東征の還路甲斐国に至り酒折宮に駐留した際、大伴武日命が居館を造営
- 那賀都神社(村社)山梨県東山梨郡三富村>>日本武尊東夷御征定のみぎり、甲武信の国境を越えた時、岩室に山営を張り三神に祈念
- 諏訪八幡神社(村社)山梨県南都留郡西桂町>>景行天皇41年(111年)日本武尊、東征御帰路の途上、諏訪大神を守護神として創祀
- 大御食神社(郷社)長野県駒ヶ根市赤穂>>景行天皇41年、日本武尊は東征の帰路途中、杉の木の下で首長赤須彦の饗応を受ける
- 武部八幡宮(県社)長野県上水内郡小川村>>日本武尊東征のおり、碓氷にて道を分けられ、越後を平定その途上、竹生に逗留
- 熊野皇大神社(県社)長野県北佐久郡軽井沢町>>日本武尊凱旋の途中、道に迷われ八咫の烏が現れ、無事に碓氷峠に到着した
- 白鳥神社(郷社)長野県小県郡東部町>>日本武尊の伝説に因む白鳥信仰の神社
- 阿遅加神社(郷社)岐阜県羽島市足近町>>日本武尊は美濃国へ向かい霊泉があるのを知った。この霊泉を飲み、暫く休憩した
- 八剱神社(郷社)岐阜県羽島市竹鼻町>>日本武尊が伊吹山の賊を征討した際、その雄姿を景仰した里人が後世になって尊を奉斎
- 白鳥神社(郷社)岐阜県揖斐郡池田町>>日本武尊の伝説に因む白鳥信仰の神社
- 白鳥神社(郷社)岐阜県郡上郡白鳥町>>日本武尊の伝説に因む白鳥信仰の神社
- 八剱神社(郷社)岐阜県羽島郡岐南町>>日本武尊が東征した際、伊吹山へ向かう途中でこの地で休息した
- 垣野神社(郷社)岐阜県山県郡美山村>>日本武尊牛に乗り南口に来座し、牛の遺骸を埋め碑を建て古来是を牛塚・牛象と云ひ伝へ来る
- 八剱神社(郷社)岐阜県養老郡養老町>>尾張国愛知郡熱田神宮の境内社、八剣神社から勧請
- 廣野神社(郷社)静岡県静岡市駿河区国吉田町>>景行天皇40年日本武尊東夷征伐の時勧請とあり、安倍郡懸社草薙神社の摂社なり
- 草薙神社(県社)静岡県静岡市清水区草薙>>東征の際に日本武尊は天叢雲剣で草を薙払い火を放って難を逃れた。その火難伝承地
- 矢倉神社(県社)静岡県静岡市清水区矢倉町>>日本武尊御東征の際、軍営を布き兵站部や武器庫を置かれた遺跡と伝わる
- 焼津神社(県社)静岡県焼津市焼津>>この地は「ヤキツ」といわれるようになり、現在の「焼津(やいづ)」という地名の由来
- 久佐奈岐神社(郷社)静岡県静岡市清水区山切>>かつては日本武尊の東征に随伴した9万8千の人々を祀っていたことから「九万八千社」
- 熱田神社(郷社)静岡県湖西市>>景行天皇の御代、日本武尊が東夷討伐の途中で陣を留めた事跡を伝える社
- 熱田神宮(官幣大社)愛知県名古屋市熱田区>>宮酢媛は独りで床を守り草薙神剣を奉り鎮守するための社地の選定を諮った
- 七所社(郷社)愛知県名古屋市中村区>>日本武尊が腰をかけたと伝わる腰掛岩が現存
- 内津神社(県社)愛知県春日井市内津町>>日本武尊が内津峠で建稲種命が水死したと報告。「ああ現哉々々」とその霊を祀った
- 成海神社(郷社)愛知県名古屋市緑区鳴海>>草薙神剣が熱田に還座(草薙剣盗難事件)された時に、日本武尊の縁由により鎮座
- 白鳥神社(郷社)愛知県愛知郡東郷町>>日本武尊の伝説に因む白鳥信仰の神社
- 日長神社(郷社)愛知県知多市日長森下>>子日本武尊が御東征の折、この地を「日高」と呼ぶがよいと仰せられ「日永」となる
- 幡頭神社(県社)愛知県西尾市吉良町>>日本武尊の旛頭の役建稲種命が東征の帰路駿河湾で遭難、蛭子岬に漂着した遺骸をこの地に葬る
- 白鳥神社(郷社)愛知県新城市作手>>日本武尊の伝説に因む白鳥信仰の神社
- 船津神社(郷社)愛知県東海市名和町船津>>日本武尊ご東征の時、なわで船を松の木につながれたことにより、名和と船津の地名となる
- 鳥出神社(県社)三重県四日市市東富田町>>延喜5年には存在した日本武尊を祭神とする式内社
- 加佐登神社(村社)三重県鈴鹿市加佐登町>>日本武尊の能褒野陵墓と伝えられた白鳥塚古墳の横に鎮座
- 能褒野神社(県社)三重県亀山市田村町>>「王塚」又は「丁字塚」と呼ばれる前方後円墳(能褒野王塚古墳)が「能褒野墓」に治定
- 建部大社(官幣大社)滋賀県大津市瀬田神領町>>景行天皇46年、妃・布多遅比売命が御子・建部稲依別命と住んでいた地に祀った
東日本に多く残る日本武尊の事績
ヤマトタケルに関する神社伝承は、とても空想の人物に対する伝承とは思えないほどたくさん残っています。
これら神社伝承の記録を見るかぎり、日本武尊(ヤマトタケル)は、東北の蝦夷征伐、関東、東海の平定を行った実在の人物であると推定できます。
一方、九州における日本武尊の神社伝承の記録は少なく、記紀に書かれた事績は、時代を経て創作されたものではないかと推定できます。
日本武尊は、能褒野(三重県鈴鹿市)で30歳で亡くなります。
日本武尊の陵墓
陵墓は、宮内庁により次の3ヶ所に治定されています。
- 能褒野墓(三重県亀山市田村町)
遺跡名:「能褒野王塚古墳」墳丘長90mの前方後円墳で、4世紀末の築造と推定 - 白鳥陵(奈良県御所市富田)
遺跡名:「権現山」・「天王山」幅約28m×約45mの長方丘 - 白鳥陵(大阪府羽曳野市軽里)
遺跡名:「軽里大塚古墳」「前の山古墳」「白鳥陵古墳」墳丘長190mの前方後円墳で、5世紀後半の築造と推定
宮内庁が、陵墓の場所はわからないけど、確かに実在した皇族であると認めています。
聖徳太子といい日本武尊といい、伝説化した人物は時代を経て脚色されていき、実在とは程遠い存在となるのは致し方ありません。