欠史八代

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初代神武天皇の後は、綏靖天皇、安寧天皇、懿徳天皇、孝昭天皇、孝安天皇、孝霊天皇、孝元天皇、開化天皇と続きます。
いわゆる欠史八代の天皇です。

欠史八代

欠史八代とは

欠史八代とは、Wikipediaの欠史八代によると、『古事記』『日本書紀』において系譜(帝紀)は存在するがその事績(旧辞)が記されない第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人の天皇、あるいはその時代を指す。とあります。
続いて、現代の歴史学ではこれらの天皇は実在せず後世になって創作された存在と考える見解が有力であるが、実在説も根強い。ともあります。
Wikipediaを読むと、津田左右吉という戦前から戦後にかけて活躍した歴史学者が発祥らしいです。
実在説、非実在説それぞれ筋が通った説にもみえるところが、この論争の複雑なところです。

欠史八代は本当か

欠史八代は、本当なのでしょうか。
非実在説をみていくと、なんとなくわかってくるような気がします。

神武天皇の辛酉即位年偽作説

綏靖天皇から開化天皇まで八代の天皇は、古代中国の革命思想である辛酉革命に合わせることで、皇室の起源の古さと権威を示すために偽作したという言説です。

そもそも『日本書紀』には太歳辛酉としか記載されておらず、干支と紀年を関係づけて固定化することはできないのです。
辛酉は60年に一回巡ってくるので、辛酉であるからといって皇室の古さと権威を示すために偽作したというのは可怪しいです。
辛酉としか書かれていませんから、古くしたり新しく解釈することのどちらも可能です。
数百年周期で巡ってくるなら別ですが、60年周期の辛酉というだけで、欠史八代は非実在というのは無理でしょう。
即位年を辛酉にしただけで、欠史八代になるというのは飛躍しすぎでしょう。
『日本書紀』は正直に紀年はわからないですよと言っているわけです。
紀年はわからないけど、天皇として伝承されているから記載したのではないでしょうか。

古代天皇の寿命が異常に長い

古代天皇は寿命が異常に長い。
神武天皇は『古事記』では137歳、『日本書紀』では127歳と記されているので、創生期の天皇達が皇室の存在を神秘的に見せるために創作されたことを示唆している。という言説があります。

確かに、この古代天皇の異常な長寿は私も可怪しいと思います。
現代のように医学が発達した時代の寿命は、80歳程度であり、長生きしても100歳が限度です。
ましてや医学の発達していない古代において120歳生きたとは考えられません。
最近は、この異常な長寿について、春秋暦で説明している言説もみられます。
つまり、昔は農作物の収穫を基準とした、春と秋の2回年代わりがあったということです。
異常な長寿はこの春秋暦に基づいているからだということです。
寿命が春秋暦で127歳なら、本来は半分の63歳程度ということです。
ただし、この春秋暦を使って計算しても神武天皇の即位は紀元前となり、弥生時代終盤と古すぎるので、この春秋暦説では説明しきれていません。
更に、四倍暦とか十倍暦とかも出てきていたり、暦で正しい紀年を求めることは困難です。
応神天皇110歳、仁徳天皇110歳など、欠史八代以外でも異常な長寿の天皇は記載されています。
欠史八代の根拠として正しいかどうかはわかりませんが、異常に長い寿命は謎に包まれていることは確かです。

二人いる「ハツクニシラススメラミコト」

『日本書紀』では神武天皇の称号は「始馭天下之天皇」となっています。
10代の崇神天皇の称号は「御肇國天皇」です。
したがって、どちらも「ハツクニシラススメラミコト」と読めるから、神武天皇と崇神天皇は同一人物であり、欠史八代であるという言説です。
同じ読みだと断定するあたり、かなり無理があるなあ、という印象ですが、同じ文字、漢字なら分かりますが、読みが同じというだけで同一人物というのは本当ですかね。
かなり、こじつけに見えてきます。
「天下」と「國」という単語の意味も違いますし。
元々一人の人物を二人に分けて、それぞれ初代と十代に記載するという複雑な方法をとるのが、そもそも理解不能です。
記紀編纂当時には、「初代天皇はイワレビコ、ニギハヤヒの時代の人物だ」ということは明確に語り継がれており、「神代」という神話の項目ではなくリアルな人物の項目である「巻第三」に書かれたのではないでしょうか。
残念ながら、当時の権力者には、ニギハヤヒが初代天皇として認定されなかったようです。

すべて父子相続で兄弟相続は否定

欠史八代のすべてが父子相続で、兄弟相続が一人もいないので存在が疑われる。皇統の歴史を古く見せかけようとしたために兄弟相続など同世代間での相続を否定した。という言説です。
偽装するなら兄弟相続を入れ込むでしょう、普通に考えれば。
逆に父子相続だったか、よくわからなかったから父子相続として、そのとおり書いたのではないでしょうか。
確かに古く見せかけるために兄弟相続を書かなかったということもあるかもしれませんが、よくわからないというのが実態なのでしょう。
兄弟相続が無かったから実在を疑うというのも短絡的に感じます。

まとめ

これら非実在説をみてみると、実在を否定するまでの根拠にはならないと考えます。
とはいえ、ここでは取り上げませんが、実在説は、実在を肯定するまでの根拠としても弱いです。
実在説、非実在説どちらにもとれるほど、証拠というか根拠が弱いということです。
やはり、考古学的な証拠が発見されない限り、実在説が通説化することはないでしょう。

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