須佐之男尊(スサノオ)は日本建国の祖

須佐之男尊Wikipediaより引用

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皇祖神 須佐之男尊(スサノオ)

『古事記』での記述

  • 建速須佐之男命、速須佐之男命、須佐之男命

『日本書紀』での記述

  • 素戔男尊、素戔嗚尊、須佐乃袁尊

須佐之男尊(スサノオ)は日本建国の祖であり父ですが、記紀にはそうとは思えない記述がみられます。
イザナギから海原を統治するように命じられたのに、国を治めず泣きわめいていました。
そのため、風水害が起こり枯山となり、ありとあらゆる災害が発生します。
そして、国を追放され、なぜか、アマテラスのところに報告に行きます。
アマテラスは、臨戦態勢で乱暴者スサノオが来るのに備えます。
なのに、なぜだか誓約をして子供を儲けます。

意味不明です。
子供が生まれた後も、新嘗祭で糞をまいたり、田の畦を壊したり、ひどい行為を続けます。
アマテラスはスサノオの振る舞いが原因で、天の岩屋戸に隠れてしまいます。

どうみてもスサノオは日本の皇祖神とは思えない低評価な記述です。
姉弟関係のはずなのに、完全に上下関係のストーリー展開です。
しかし、しっかりと皇統につながる子孫を残していることには触れられています。
どう考えても、アマテラスとスサノオは姉弟関係ではないのでしょう。
正式な夫婦でないにせよ、それに近い関係だったとしか考えられません。
そこには何らかの編者のメッセージが隠されているのでしょう。
記紀編纂時の8世紀を基準に、その5百年前という太古の歴史を、正確に書けというのも無理があります。
アマテラス=三女神説、スサノオ=5男神説というのもありますが、少し無理がありそうです。
スサノオは皇統につながる人物だけど、どうしても出自を隠さなければならない理由があった、ということです。

須佐之男尊を神話から解き放つ

八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治

本来の皇祖神である須佐之男尊を、おとぎ話から現実世界へ取り戻す必要があるようです。
須佐之男尊は出雲国の斐伊川(ヒイガワ)の上流の鳥髪に降り立ちます。
斐伊川の上流で櫛名田比売(クシナダヒメ)と結婚し、八俣遠呂智を十握剣(十拳剣)で退治します。
その八俣遠呂智の尾から草薙剣が出現します。
いわゆる日本武尊で有名な「三種の神器」の一つ草薙剣です。

日本で最初の和歌を詠みます。

”八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を”

『日本書紀』では、八俣遠呂智は八岐大蛇、櫛名田比売は奇稲田姫です。
毎年八人の娘が呑み込まれたという記述があるため、八岐大蛇は、山賊または、豪族だったという説があります。
一方、八岐大蛇を川の氾濫とみる説がありますが、毎年洪水が起こるとは思えませんので、豪族説と氾濫説のハイブリッドかもしれません。

十握剣は布都御魂

十握剣は、布都御魂、韴霊剣、布都御魂剣ともいわれる霊剣です。
神武天皇が神武東征において、熊野から三輪に入る途中で、高倉下(天香山命)から受け取ったのが十握剣です。
十握剣(布都御魂)は、内反りの鉄刀で国宝に指定されていて、現在、石上神宮の本殿に奉安されています。

■稲田神社

島根県仁多郡奥出雲町稲原にある郷社です。
ご祭神は櫛名田比売命
須佐之男命が合祀されています。
奇稲田姫の産湯といわれる「産湯の池」や、臍の緒を竹で切ったと伝えられる「笹の宮」があります。

斐伊神社

斐伊神社

斐伊神社は、須佐之男命と奇稲田姫を祀る、日本の歴史が始まる地にある神社です。
御祭神は建速須佐之男尊と稲田比売命です。
出雲第一の河川「簸の川」を神社の名前である斐伊川に改称するほど由緒深い場所です。

  • 斐伊神社は、島根県雲南市木次町に鎮座する国弊小社です。
  • 「樋社」と「斐伊神社同社坐樋速夜 比古神社」を合祀
  • 出雲第一の簸の川を神社名の斐伊川に改名
  • 当社の分霊は武蔵国一宮の氷川神社に奉祀された
  • 八本杉の地は八岐大蛇の角を埋めた場所との伝承

八重垣神社

八重垣神社は、島根県松江市佐草にある旧称「佐久草神社」です。
八岐大蛇の襲撃から稲田姫を救い出した時に、一時ここに匿っておいたという伝承が残っています。
そこにあった大杉のあるところに八重垣を作り、八岐大蛇の襲撃に備えたということです。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が川の洪水だけではないことがわかります。
もちろん、ヘビではないです。

  • 八重垣神社は、島根県松江市佐草町に鎮座する別表神社
  • 旧称は佐久佐神社(さくさじんじゃ)
  • 大杉を中心に『八重垣』を造り稲田姫を隠した
  • 稲田姫を難から救った場所が『佐久佐女の森』

須我神社

スサノオがヤマタノオロチ退治後に、宮殿を建てたと伝わるのが、雲南市大東町須賀にある須我神社です。
スサノオと奇稲田姫の御子である清之湯山主三名狭漏彦八島野命も祀られています。
周辺に斐伊川や支流の赤川が流れ、製鉄業が盛んだったとみられます。

  • 須我神社は、島根県雲南市大東町須賀に鎮座する日本初之宮
  • スサノオが八岐大蛇退治後に建てた宮殿が神社になった
  • 「気分がすがすがしくなった」として「須賀」と命名
  • 和歌発祥の地

■西利太神社(せりだじんじゃ)
西利太神社は島根県雲南市大東町清田にある郷社です。
出雲国風土記に出てくる「世理陀社」です。
ご祭神は、金山比古命で、大東町は古代の鉄の産地でもあります。
周囲には横穴古墳などが散在する場所です。

このように記紀が成立する前から在ったとみられる古社伝承をみていくと、須佐之男尊と奇稲田姫および八俣遠呂智が、史実として存在したことが推定できます。
記紀にあるような低評価の須佐之男尊であったなら、実在は別としても、このように神社で祀られることはないでしょう。
日本の皇祖神にふさわしい人物だったと思われます。

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