弥生時代中期:鉄を求めて

日本の鉄器

日本列島最古の鉄

日本列島最古の鉄の遺跡は、愛媛県大久保遺跡、福岡県中伏遺跡からの出土を根拠に紀元前4世紀ごろ出現したと推定されています。
それらは中国燕の紀元前5世紀頃に作られた鋳造鉄斧とみられます。
伝来ルートについては、朝鮮半島経由と中国直接の2パターンが考えられます。
ただし、朝鮮半島では日本の鉄器より古い時代の遺跡が見つかっておらず、中国から直接伝播したものと推定できます。

鉄器の歴史:鉄鉱石と砂鉄

砂鉄は、古くは製鉄の主原料でした。
現在は鉄鉱石が生産の主軸ですが、日本刀など、たたら吹き(蹈鞴)によって製鉄される玉鋼の作成に砂鉄は、現在でも欠かせない材料です。
ただし、不純物のチタンが含まれるため高炉による製鉄には使えません。

鉄鉱石は地球上全体に存在し、全金属の中で一番多く存在します。
現在生産される鉄は鉄鉱石からとなっています。

鉄器時代の開始は、紀元前15世紀ごろといわれます。
最初の鉄器文化は紀元前15世紀ごろにあらわれたヒッタイトとされています。
ヒッタイトではバッチ式の炉を用いた鉄鉱石の還元とその加熱鍛造という高度な製鉄技術により鉄器文化を築いたとされます。
ヒッタイト帝国が終焉を迎え、古代オリエント世界は一気に青銅器時代から鉄器時代に入ります。

ヒッタイトでは、鉄の製法は国家機密として厳重に秘匿されていました。
そのヒッタイトが紀元前1190年頃に滅亡すると、その製鉄の秘密は周辺地域に伝播することになりエジプト・メソポタミア地方で鉄器時代が始まります。

ヨーロッパは、紀元前1100年ごろから、中央ヨーロッパは紀元前800年ごろに鉄器を受け入れインドは、紀元前1200年ごろには開始されたと考えられています。
中央アジアは紀元前800年ごろからスキタイが鉄器技術を使っていました。

中国は、殷代の遺跡において既に鉄器が発見されていますが、それほど利用されていたわけではなく主に使用されていたのは青銅器でした。
中国で本格的に製鉄が開始されたのは紀元前600年頃で、戦国時代に広く普及したと推定されます。

朝鮮半島南部の弥生土器と鉄

朝鮮半島では日本の鉄器より古い時代の遺跡が見つかっておらず、日本の鉄器は中国から直接伝播したものと推定できます。

日本列島で鉄器が出現しはじめるのは、紀元前4世紀中ごろからです。
紀元前4世紀ごろは、春秋戦国時代の燕が鉄を盛んに生産していた時期にあたります。
燕から鉄がもたらされたことは想像でき、可能性が高いといえます。

弥生式土器が朝鮮半島南部、『後漢書』東夷伝や『魏書』倭人の条に記載された「倭人の領域」から大量に発見されている意味は何でしょうか?

当時の朝鮮半島は現在のアフリカがそうであるように、組織によって統制されたエリアではなく、あまり人の住んでいない荒野であったようです。
朝鮮半島北部は漢人系が住み、中部は混在、南部は倭人が多く住んだ地域であったということです。

紀元前3世紀になると燕が朝鮮半島北部を征服するようになり、交易で日本までやってくるための拠点として利用したと想定されます。
紀元前2世紀には衛氏朝鮮が戦乱の中国からの亡命者を中心として集まります。
『史記』『三国志』などによれば、建国したと記載があります。
中国人からみれば、中国人の力で建国させたということなのでしょう。

朝鮮半島南部では倭人が定住し、弥生土器を作り、鉄器を利用するようになります。
鉄器は、燕との交易で買ったのでしょうか。証拠は残念ながらありません。

南部に住む倭人が九州北部に鉄器をもたらしたのか、あるいは燕との交易で九州北部の倭人が直接取得したのかこれもよく分かっていません。

もっと本質的なことを言うと、朝鮮語で「田」を意味することばは「畑」を表し朝鮮半島の稲作は、陸稲か水稲を直播きしていたのです。
水田稲作、いわゆる田植えが普及するのは李氏朝鮮後期(16・17世紀)です。
どう考えても、この地域から日本へ稲作・鉄器が伝播するわけがありません。

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