大国主命(オオクニヌシ)

大国主命 Wikipediaより引用

大国主命(オオクニヌシ)は、日本の神話に出てくる国津神です。
オオクニヌシの出雲国譲り神話として有名ですが、かなり脚色されいる印象です。
神話では有名ですが、謎に包まれた神でもあります。(神だから当然といえば当然ですが)
そして、記紀においてもそれほど古い時代の人ではないのに、イマイチ存在が見えてきません。
どこで生まれ、どこで亡くなったのかはっきりしません。
しかし、出雲を支配していたことは確かなようです。

大国主命の出雲国譲り

経津主神、武甕槌神は、出雲の国の五十田狭の小汀に降りられて、十握剣をぬいて、大地に突き立てて、大己貴命に「高皇産霊尊が皇孫を降らせ、この地に君臨しようと思っておられる。そこでわれら二人を平定に遣わされた。お前の心はどうなのか。お譲りするか否か」と経津主神、武甕槌神がいわれた。
その時、大己貴神は、「私の子どもに相談して、返事しましょう」といわれた。
この時その子の事代主神は、出雲の美保の崎にいって、釣りを楽しんでおられた。あるいは鳥を射ちに行っていたともいう。

事代主神は、「今回の天神の仰せごとに、父上は抵抗されぬがよいでしょう。私も仰せに逆らうことはしません」といわれ、海中に退去した。
大己貴神は、「わが頼みとした子はもういません。だから私も身を引きましょう」

日本書紀』より

天鳥船神と武御雷神は大国主神に「我々は、天照大御神と高御産巣日神の命によって、次のことを問うために遣わされた。
汝がうしはける葦原中国は、我が御子の知らす国である、と命じられた。汝の考えはいかがか」と尋ねられました。

大国主神は「我が子の八重事代主神が申し上げることでしょう。息子は鳥を狩りに、また魚を釣りに御大之岬まで行ったまま、戻ってきません」とおっしゃった。

八重事代主神は「この国は、天つ神の御子に奉りましょう」と言って、その船を踏んで傾け、船を青柴垣に変えて、その中に隠れました。

古事記』より引用

『古事記』によると、大国主神は、須佐之男尊の六世孫にあたります。
大国主神の別名は、大穴牟遅神、葦原色許男神、八千矛神、宇都志国玉神です。
また、「御諸山の上に坐す神」を祀れというやり取りがでてきます。

『日本書紀』によると、大国主神は、素戔嗚尊の五代の孫あるいは六代の孫にあたります。
大国主神の別名は、大己貴命、大物主神、国作大己貴命、葦原醜男、八千矛神、大国玉神、顕国玉神です。(但し一書含む)
そして、大己貴神の幸魂、奇魂が大三輪の神という記述もあります。

『古事記』の神話でスサノオが大国主神(大穴牟遅神)の結婚を認めず、火を放ったり無茶苦茶です。六世の孫のハズが。。。

ここで判明したのは、オオクニヌシの子供が事代主神ということです。
そして、大己貴命は大国主神の別名であるということです。
大物主神や八千矛神、葦原醜男、大国玉神という別名は、さらに調べる必要がありそうです。

スサノオについてはこちらの記事にあります

大国主神は恋多き男で入婿

須佐之男尊の娘である須世理姫と結婚し婿入します。
この結婚にはかなり反対があったのか、蛇の室で寝させられたり、火を放たれたり、ムカデに襲われたりします。
大国主神は、親類縁者からいじめられていたことが書かれています。
反対されたのは、須世理姫との結婚の前に、八上比売(木俣神)という前妻がいたからでしょうか。
スサノオの婿として出雲帝国の支配者を継承する人物としても、評価されていなかったのかもしれません。
さらに、多紀理比賣命、神屋楯比売命(多岐都比売命)と結婚します。(神屋楯比売命は『古事記』のみに記載)
多紀理比賣命は宗像三女神の一人で、天照大御神と須佐之男命の誓約で生まれた田心姫神です。
鹿児島県の揖宿神社に天照大御神の5男3女の一人として祀られています。
宗像大社はもちろんのこと八王子神社など、多くの神社に祀られています。

大黒天と神仏習合

ダイコクという読みが同じだったので「大黒天」と混同されたのが、今の大国主神についたイメージの正体のようです。

大黒天は、日本には密教の伝来とともに伝わり、天部と言われる仏教の守護神達の一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神とされたが、特に中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられた。

日本においては、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道の神である大国主と混同され、習合して、当初は破壊と豊穣の神として信仰される。後に豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として知られる食物・財福を司る神となった。室町時代以降は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の民族的信仰と習合されて、微笑の相が加えられ、さらに江戸時代になると米俵に乗るといった現在よく知られる像容となった。現在においては一般には米俵に乗り福袋と打出の小槌を持った微笑の長者形で表される。

袋を背負っているのは、大国主が日本神話で最初に登場する因幡の白兎の説話において、八十神たちの荷物を入れた袋を持っていたためである。また、大国主がスサノオの計略によって焼き殺されそうになった時に鼠が助けたという説話(大国主の神話#根の国訪問を参照)から、鼠が大黒天の使いであるとされる。

Wikipediaより引用

■神田明神(東京都千代田区外神田二丁目)
東京の神田祭で有名な神田明神は、一之宮で大己貴命を祀る府社で別表神社です。
社伝によると、神田明神は730年に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
大己貴命を医学の神様として、疫病鎮静に祀ったのが由来です。

大国主命を祀る都農神社

都農神社は、大国主命(大己貴命)を祀る日向一宮です。
一宮に大国主命を祀るということは、南部九州にその影響力を及ぼしていたとみてもいいでしょう。
都農神社の周辺には、前方後円墳など都農古墳群があります。

都萬神社は、木花咲耶姫命を祀る日向二宮です。
都萬=妻ということから、木花咲耶姫命は、瓊々杵命の奥さんだったことがわかります。
木花咲耶姫命は瓊瓊杵命の妻だったという伝承ですが、多紀理比賣命だったのではないでしょうか。
この辺、調べる必要がありそうです。

大国主神と都農神社

■日光二荒山神社(ニッコウフタラサンジンジャ)
日光二荒山神社は、栃木県日光市山内にある、下野国一宮、国幣中社で別表神社です。
日光二荒山神社には、大己貴命、田心姫命、耜高彦根命が祀られています。
大己貴命と田心姫命が夫婦であり、耜高彦根命はその子供であることが分かります。

長くなったので、続きは別記事で書きます。

大国主命と出雲国譲り神話

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