上野原遺跡【更新】

上野原遺跡は、鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森1−1にある縄文遺跡です。
南に鹿児島湾や桜島、北に霧島連山を望む、霧島市東部の標高約250mの台地上に所在します。
約9500年前の縄文時代早期から約1600年前の古墳時代にかけて発掘された遺跡です。
(最新の年代測定法によって9500年前⇒10600年前に変更されています)
現在は「鹿児島県上野原縄文の森」という歴史公園になっています。

上野原遺跡からは、日本列島で最古級の大規模な定住集落跡が発見されています。

約9500年前の地層(約10600年前に変更)
52軒の竪穴住居群、39基の集石や連穴土坑などの調理施設をもった大集落でした。

約7,500年前の地層(約8500年前に変更)
台地南側の最も高い所に赤色顔料が付着した非日常性を示す壺型土器が埋蔵されその周りには石斧埋納遺構が見つかり、さらに、これらを取り囲むように日常使用した多くの石器や割られた土器などが出土しており、儀式を行う場として利用されたことが想定されます。

約7300年前
鬼界カルデラの破局噴火が起こり、住民である縄文人を一掃しました。
鬼界アカホヤ火山灰が火砕流堆積物として広範囲に降り注ぎました。
その後、約2500年前まで住居跡は発見されていません。

上野原遺跡の地層

鬼界カルデラを構成する薩摩硫黄島は、今でも活動を続ける活火山です。
約7300年前におきた鬼界カルデラの大噴火は、過去1万年では世界最大規模で南九州の縄文人は一掃されました。

約10600年前に日本で大規模な集落が形成され、定住生活が行われていたことは驚きです。しかも、九州南端の地で。

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この鬼界カルデラの破局噴火は、九州地方から縄文人を追い払い、北は北海道や朝鮮半島へ逃げていった者もいたと推測できます。

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