邪馬台国宮崎説と卑弥呼について(3)

今回は邪馬台国「宮崎説」を検討してみます。

前回までの邪馬台国と卑弥呼についての自説は以下のリンクから読めます。

邪馬台国と卑弥呼についての自説(1)

邪馬台国と卑弥呼についての自説(2)

邪馬台国は宮崎にあったのかを検討する

邪馬台国が日向、今の宮崎県にあったと仮定して、卑弥呼は誰なのかといった具体的な事象は、誰がいつ生きていたのかとか系譜や年代を特定しないことには前に進みません。
邪馬台国宮崎説を検討するには、『日本書紀』『古事記』『先代旧事本紀』に出てくる国津神や天津神の年代を特定する作業が必要です。
その登場人物や神様は、下記のとおりです。
国津神といわれる神々?人びとです。

  • 天照大神(アマテラスオオミカミ)
  • 素戔嗚命(スサノオノミコト)
  • 瓊々杵命(ニニギノミコト)
  • 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)
  • 木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
  • 大国主命(オオクニヌシノミコト)
  • 鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)
  • 神武天皇(ジンムテンノウ)
  • 大山咋命(オオヤマツミノミコト)
  • 武甕槌命(タケミカヅチノミコト)
  • 建御名方命(タケミナカタノミコト)

邪馬台国宮崎説に必要な『日本書紀』の年代特定

『日本書紀』は全三十巻の漢文で書かれた史料です。
巻一~巻二は「神代」の巻で、神話となっています。
巻三~巻三十は、神武天皇から持統天皇までの編年体による天皇の譜系が記されています。
わざわざ神と人間の物語に分離したのは、「ここまでははっきりしない伝承のお話で、ここから実際の歴史が始まりますよ!」と主張しているようです。
『日本書紀』の編者が明確に神武天皇を境に区切ったという事実を、まずは信じてみるのが良いんじゃないでしょうか。

この「巻三」は神武天皇からはじまるのですが、懿徳天皇は記述がありますが、安寧天皇から開化天皇までは即位と譜系以外の記述が殆ど無く、「欠史八代」と呼ばれています。
神武天皇から開化天皇は実際に存在したのか、存在しなかったのかは議論百出ですが、ここでは実在していたことを前提に話を進めます。
実際に記載されているのに「居なかった」とするのは、虫が良すぎますから。
どうしても存在が確認できず、他の史料、事績からも確認できない場合は居なかったとすることもあるでしょうが。
記述量が少ないだけで8人もの存在を消すのは無理があるかなあ。
確かに、無理やり上司から「これらの人びとを記載するように!」と命令されたら従うしかないです。
『日本書紀』は、上司から強制されたことを言外に暗号として匂わすこともしたと言われますが、ここは信じるしかないでしょう。
「御肇国天皇」(はつくにしらすすめらみこと)は神武天皇と崇神天皇のお二人いることで、崇神天皇を初代天皇とする説や同一人物説もあります。
しかし、実際採用されたのは神武天皇なのですから、これは信じるしかありません。
事績も残っていますし、伝承として神武天皇が居たことは確かなのでしょう。
『日本書紀』編者も、わざわざ神武天皇の御代から「ここまでは神代で、ここからは実在の天皇ですよ!」と訴えているのですから、正直に信じるべきでしょう。

でも、年代は明らかにおかしい。
この年代を少し検討してみましょう。

『日本書紀』『古事記』の崩御年

記紀における天皇の崩御年をみると、明らかにおかしいことがわかります。

  • 神武天皇:『古事記』137歳 『日本書紀』127歳
  • 孝安天皇:『古事記』123歳 『日本書紀』記録なし
  • 孝霊天皇:『古事記』106歳 『日本書紀』記録なし
  • 開化天皇:『古事記』63歳 『日本書紀』115歳
  • 崇神天皇:『古事記』168歳 『日本書紀』120歳
  • 垂仁天皇:『古事記』153歳 『日本書紀』140歳

長寿世界一といわれる現代でも137歳まで生きた人は居ません。
また、『古事記』と『日本書紀』で年齢が極端に異なる場合があります。
おそらく、編者も伝承をそのまま記録したのだと思われます。

この長寿の謎を解かない限り、年代を確定することは難しいです。

それではどうやってこの謎を解くか?
これらを解く方法はいくつか主張されています。

長浜浩明氏の「春秋年」で算出する方法

実は、天皇長寿の謎を解くカギがシナの文献に残されています。三国志はシナ正史のなかでも簡潔な記述で知られており、南朝・宋の歴史家、裴松之(372~451)は多くの史料を使って三国志に注を書き加え、増補しました。
それが「裴松之の注」であり、魏志倭人伝に載録されていない次のような注記があります。

「其俗 不知正歳四時 但記春耕秋収 為年紀」
(倭人は歳の数え方を知らない。ただ春の耕作と秋の収穫をもって年紀としている)

日本書紀に古事記の倍近い宝算が記録されているのは、古事記の宝算を見た日本書紀の篇著者が❝記録はこうだ❞と訂正したと推定されます。

『日本の誕生』長浜浩明著

長浜浩明氏の算出方法によると、神武天皇の崩御は紀元前33年となります。

安本美典氏の算出方法

安本美典氏は、歴代天皇の平均在位期間から正しい在位期間を算出する方法です。
それによると、古代の天皇の平均在位期間が約10年となり、初代神武天皇の在位年代は280年~290年頃になるというものです。

原田常治氏の算出方法

1代・神武天皇(241年)在位158年(平均在位10年)→16代・仁徳天皇(399年)
17代・履中天皇(399年)在位193年(平均在位12年)→32代・崇峻天皇(592年)
33代・推古天皇(592年)在位178年(平均在位11年)→48代・称徳天皇(770年)

神武天皇即位の年は辛酉(かのとり)の年といろいろなものに書いてある。
241年が辛酉の年になる。

『記紀以前の資料による古代日本正史』原田常治著

原田氏は平均在位10~12年として算出していますが、安本美典氏と異なり、神武天皇即位年に記載されている干支の「辛酉」を根拠に241年即位としています。

崎元正教氏の算出方法

・・・・だとすれば、仁徳以前の六十・九年というのは史実を約五・三倍引き延ばしていることになる。この五・三倍は天皇誕生史の謎の一つを解明するための重要な鍵であるので是非記憶にとどめておいていただきたい。

・・・・・神武即位は西暦200年として話を進めていく。

・・・・・ところで、本節で用いた統計的手法は在野の研究者であった平山朝治氏(当時東京大学大学院生)が提案された最小自乗法と呼ばれる統計手法の一つである。このような統計手法はその詳細に立ち入ると幾つかの問題があって、さらに年代を絞り込むためには他の手法の助けが必要になる。たとえば前著Ⅰで私は「一世代平均在位年数」による推定値を示しておいた。その詳細は同著に譲るとして、結論だけ述べると、神武即位年はやはり200年±一世代(当時は二十五年程度)となったのである。

『日本書紀と神社が語る天皇誕生史』崎元正教著

崎元氏は平均在位年数と最小自乗法を使って算出していて、神武即位を200年としています。

Follow me!