日本国の領域と朝鮮半島:先史時代

日本と朝鮮半島

歴史から見える現代日本と朝鮮半島

現在の日本と朝鮮半島の関係は、歴史を学ぶと真実の姿がみえてくると考えます。
もちろん、歴史といっても第二次世界大戦後の歴史だけをみていては、何も見えてきません。
その地域の成り立ちや地理的関係性、歴史的事実を調べてはじめてわかってくる部分があるのです。
特にこの地域は非常に偏向的な歴史認識が横行していて、真実が覆い隠されています。
歴史は勝者に都合の良い記録のみを残した、といわれます。
つまり、勝者側にいる国の都合で歴史が作られ、現在もその状態から抜け出せないでいるのです。
いわゆる自虐史観というのもその一つです。
「自虐史観とは、太平洋戦争(大東亜戦争)後の日本の社会や歴史学界、教育界における特定の歴史観を批判・否定的に評価する言葉である」
歴史の出来事というのは一方から見るだけでは片手落ちです。
したがって、敗者や落伍者の立場から見ることが必要になってきます。
多面的、客観的で本質的に物事を見る目をもたなければいけないのです。

先史時代の日本と近隣地域

ヴュルム氷期の日本と中国大陸

約2万年前はヴュルム氷期(ウルム氷期)といって、地球は寒冷な時代でした。
ヴェルム氷期の日本列島についての過去記事

ヴュルム氷期の日本列島と朝鮮半島

約2万年前は、寒冷な時代で最終氷期のヴュルム氷期にあたり海水が凍って、海面は現在よりも100~140m低かったといわれます。
中国大陸と朝鮮半島はつながっており朝鮮半島は存在しなかったのです。
渤海とか黄海は陸地だったと言われます。

このヴュルム氷期が終わるとすぐに海面が上昇し、宗谷海峡が形成されます。
朝鮮半島は日本列島より後に形成されることになります。
ちなみに、沖縄諸島は日本列島よりも中国大陸に近かったこともわかります。

九州と中国大陸(朝鮮半島)は完全に陸続きではなかったといわれています。
距離は近かったでしょうが、現代の距離とさほど変わりません。
対馬海峡は今よりも狭く、対馬暖流はまだ流れ込んでいませんでした。
そのため、日本列島の日本海側には、今のような豪雪は降らなかったようです。
この後、温暖化で海面上昇がおこり、対馬暖流が流れ込み、日本海側に豪雪が降るようになります。

旧石器時代の日本と朝鮮半島

日本と朝鮮半島
旧石器時代から縄文時代の年表

旧石器時代、特に中期旧石器時代の日本と近隣地域はどのような状況だったのでしょうか。

上の表を見てみますと、金取遺跡(岩手県遠野市宮守町)という、中期旧石器時代の日本列島の遺跡があります。
さらに遡って12万年前の時代とみられる砂原遺跡(出雲市)も発掘されています。

日本旧石器学会が2010年に集計した遺跡データベースによると、日本列島においては旧石器時代と縄文時代草創期の遺跡/文化層の総計は16771となった。このなかで旧石器時代と縄文時代草創期に該当する遺跡/文化層を数えると、それぞれ14542と2526となる。 重複文化層を1遺跡として遺跡単位で数えると、旧石器時代遺跡が10150遺跡、縄文時代草創期遺跡が2432遺跡となる。

日本列島の旧石器時代遺跡

日本旧石器学会が集計したとおり、旧石器時代の日本列島からは、数千から一万以上の遺跡が発掘されています。
一方、朝鮮半島はどうでしょうか。
ここが重要なんですが、旧石器時代の朝鮮半島はヴェルム氷期にあたり、朝鮮半島は中国大陸と一体でした。
つまり、朝鮮半島は存在しませんでした。
朝鮮は、中国大陸の東方地域の一部でした。
この中国東沿岸地域(朝鮮半島になっていく地域)から遺跡はあまり発見されていません。
あまり人は住んでなかったのでしょう。

さらに、長浜浩明氏は著書でこう述べています。

上記の表にある「空白時代」のことです。
ヴェルム氷期が終わって徐々に海面が上昇し、朝鮮半島が形成しはじめる時代です。
この時代、朝鮮半島に人はいなかったということです。
韓国の国立歴史博物館が無人だと認めたということです。
したがって、朝鮮半島に人がやってきたのはBC4000年以降の縄文前期にあたる時代です。

韓半島人は絶滅、五千年間無人地帯だった

韓国国立中央博物館が発行した展示物紹介書籍の日本語版の最終ページに日中韓の年表があります。
前一万年以降を見ると、前一万年から前五千年までの5千年間、韓半島は空白になっていました。
則ち、この間はほとんど遺跡が発見されていないのです。
このことを考古学の常識で判断すると、この5千年間は半島から人の気配が消えた、人々が絶滅した、となります。

韓半島の人々が絶滅して5千年が過ぎると、この地は新たな時代に突入します。
❝新石器時代、櫛文土器文化❞がそれであり、何処からか人々がやってきたことを示しています。

『日本の誕生』長浜浩明 WAC

縄文時代の日本と朝鮮半島

縄文時代の日本と朝鮮半島の過去記事

縄文時代の遺跡:東北は縄文先進地域

縄文時代のまとめ

日本列島では、16000年~15000年前の間に、大平山元I遺跡、御殿山遺跡、宮が瀬北原遺跡などで土器が発見されています。
縄文時代の始まりは、16000年前の大平山元I遺跡の発掘が通説となっています。
その後、弥生時代が始まるまで、日本列島各地からたくさんの土器が発掘されています。
つまり、多くの人間が日本列島に住んでいたことを示しています。

一方、朝鮮半島はどうだったのでしょうか。

東三洞貝塚(釜山市)で縄文土器が見つかる

朝鮮半島で縄文土器

今だったら、埋め戻されていたかもしれませんが、1929年、日本人が縄文土器片を発掘しています。
当時日本領でした韓国釜山市の東三洞貝塚です。
これ以外の朝鮮半島の遺跡を見てみましょう。
朝鮮半島の新石器時代集落遺跡は現在、100余りあります。

朝鮮半島では、櫛目文土器時代といわれています。
日本列島の九州島から南西諸島にかけて分布する曽畑式土器は、櫛目文土器と同じ様式です。

紀元前4000年頃に櫛目文土器が出現する。これはユーラシア北部一帯(フィンランド、ロシア、シベリア、中国東北部など)にみられる土器だが、最古のものは遼河文明から発見されており、当時の朝鮮半島はウラル系民族(ハプログループN (Y染色体))が担う遼河文明圏にあったことが示唆される。朝鮮民族の基層はウラル系民族の可能性が高い。

一方、縄文時代前期に日本列島の九州から南西諸島まで広まった曽畑式土器も、朝鮮の櫛目文土器の影響を強く受けたと考えられている。同時代には他に朝鮮半島に起源があるとされる「結合式釣り針」、日本列島に起源があるとされる「隆起文土器」、「鋸歯尖頭器・石鋸」など南朝鮮と九州に共通する文化要素が見られる。

Wikipedia櫛目文土器時代

Wikipediaにあるように、朝鮮半島北部ではユーラシア北部からやってきた人々が櫛目文土器を持ち込んだ形跡があります。
一方、朝鮮半島南部からは、日本の縄文土器が発掘されていて、日本からやってきた人々が縄文土器を持ち込んだと推定できます。
このように、BC4000年頃、それまで人が住んでいなかった未開の地であった朝鮮半島に、北方経由と南方経由で新たに人々がやってきました。

■朝鮮半島の新石器遺跡

1.西浦項(東北)
2.ポミクソク(虎谷洞)(西北)
3.龍淵里(西北)
4.南京(平安南道)
5.弓山(中西部)
6.金灘里(中西部)
7.智塔里(中西部)
8.蘇井里(黄海道)
9.テノン里(中西部)
10.雲西洞、雲北洞、中山洞、三木島(中西部)
11.岩寺洞(中西部)
12.陵谷洞 鳥耳島(中部)
13.新吉洞(中部)
14.石橋里(中部)
15.鰲山里(中東部)
16.地境里(中東部)
17.大川里(中西部)
18.松竹里(南部)
19.琴川里(南部)
20.上村里(南部)
21.平居洞(南部)
22.高山里(済州島)縄文時代早期・約9000年前の遺跡

Follow me!