鎌倉幕府は何年に成立したのか?

鎌倉幕府_何年
いい国作ろう鎌倉幕府は嘘?

いい国作ろう(1192年説)は嘘?

「いい国作ろう鎌倉幕府」
1192年(いいくに)に鎌倉幕府が成立した、「いい国作ろう鎌倉幕府」と教わった人は多いのではないでしょうか。
子供の頃、日本史の暗記で覚えた語呂合わせでは一番有名でしょう。
確かに最近の教科書『詳説 日本史B』山川出版社(2016年文部科学省検定済版)を見ると、1192年(建久三年)は源頼朝が征夷大将軍に任ぜられたと書いてありますが、この年鎌倉幕府が成立したと、はっきり書かれていません。
文治元年(1185年)に守護地頭を置く権利を獲得し、鎌倉幕府が確立した、と書かれています。
さらに詳しく見ると、『新詳日本史』浜島書店(2018年版)には、こう書かれています。

以前は、1192年頼朝、征夷大将軍に就任、をもって鎌倉幕府が名実共に成立したとの見方が一般的であった。
しかし、征夷大将軍=幕府とするのは、室町・江戸幕府の例を適用した形式的な理解である。
今日では、1180~85年の間に徐々に幕府の機構が整ったとされている。
特に、公文所・問注所、守護地頭の設置を重視する考え方が一般的である。

『新詳日本史』浜島書店(2018年版)一部表記方法を加工

この教科書の補助資料では、1192年は鎌倉幕府の成立とはいえず、1180年頃から段階的に成立したとみられる、と書かれています。

さらに、帝国書院のホームページにはこのように記載されています。

参考までに1180年から1192年の鎌倉幕府に関するおもな動きは以下の①~⑥のようになっています。
①1180年:頼朝が東国支配を樹立(富士川の戦いでの勝利など)し、鎌倉を本拠地に侍所を設置した
②1183年:朝廷より頼朝の東国支配権を承認する宣旨が下された
③1184年:公文所(のちの政所)・問注所を開設した
④1185年:守護・地頭を設置した
⑤1190年:頼朝が右大将(右近衛大将)、日本国総追捕使・総地頭となった
⑥1192年:頼朝が征夷大将軍となった

帝国書院 社会科Q&A

更に、東京書籍『日本史B』の「鎌倉幕府成立の6説」では

①1180年末:頼朝が鎌倉に居をかまえ、侍所を設け、南関東と東海道東部の実質的支配に成功したとき
②1183年10月:頼朝の東国支配権が朝廷から事実上の承認を受けたとき
③1184年10月:鎌倉に公文所(政所)と問注所が設けられたとき
④1185年11月:頼朝が守護・地頭の任命権などを獲得したとき
⑤1190年11月:頼朝が右近衛大将に任命されたとき
⑥1192年7月:頼朝が征夷大将軍に任命されたとき

東京書籍「日本史B」

このように、教科書的には6説併記が標準になっているようです。

鎌倉殿と鎌倉幕府誕生

鎌倉幕府の成立は1192年か1185年か

なぜ、いい国作ろう・1192年鎌倉幕府成立ではなくなったのでしょうか。

実は、第二次世界大戦前は、文治元年(1185年)鎌倉幕府成立が通説化されていたのです。
1185年成立説だけでなく、段階的成立説も有力視されるなど、1192年説はそれほど有力ではありませんでした。
戦後、なぜか1192年が通説化、教科書にも採用されるようになります。
そして、最近になって1192年説が否定され、複数段階説へと変化したのです。
戦前から1185年説が存在したということを考えると、歴史研究が進歩したからということではなさそうです。
どちらかというと、諸説存在しよくわからないからウヤムヤにしたということで、結論を先送りして研究が退化しているようにもみえます。
このような混乱から、最近の入学試験では、特定の暦年を解答する出題はなくなりつつあるようです。

もともと、幕府とは、将軍の居館、陣所を意味していました。
その当時、頼朝による武家政権を「幕府」と呼んでいたわけではなく、京の朝廷・公家は関東、東国と呼び、頼朝に従属していた武士からは鎌倉殿と呼ばれていました。
幕府という単語は江戸時代の徳川政権以降に出てきた歴史用語です。
そもそも、鎌倉幕府という定義自体が確定されていないのに、幕府成立について論じるのがおかしいわけです。

私は、この複数段階説はおかしいと思います。
1192年か、1185年かどちらかに特定できると考えます。
これは、鎌倉幕府を定義すればいいわけで、天皇から認定された時をもって幕府成立と考えるなら、1192年か1185年になります。
天皇から認定されるか否かは関係ないとする、実質鎌倉政権が生まれた時とするなら、1180年になリます。
1192年は征夷大将軍に任命されたことで幕府成立とみなすのですが、その後に征夷大将軍を辞退していることや、奈良・平安時代の征夷大将軍も幕府とはいえないし、頼朝が官位の変更を希望し、4つの将軍職「惣官」「征東大将軍」「征夷大将軍」「上将軍」が朝廷から提案されて検討された結果、征夷大将軍を選んだ、ということからも1192年説は無理があります。
守護地頭が1183年「寿永二年十月の宣旨」で荘園・国衙領に対する支配権を公認させたということが、政権成立ではないのかという意見もあるようですが、ここはやはり朝廷が守護地頭という正式な制度を朝廷のある西日本まで公認したことをもって、鎌倉幕府が成立した、つまり1185年説を支持したいと考えます。

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